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輪廻転生とは何か

相性の【業・胎】のところで少しお話しした通り、宿曜占星術で言うところの「輪廻転生」とはインドの仏教思想がもとになっているため、現代人の私たちが想像する「生まれ変わり」とは少し違います。

少々難しい話となりますが、ここで「輪廻転生」という言葉について解説しておきます。

インド思想と仏教、「輪廻」と「転生」

まず、「輪廻転生」は仏教固有の教義だと思われている方は多いでしょう。
実はそうではなく、インドには古代から自然発生的な転生思想がありました。
仏教などはインドにおいては比較的に新しい宗教と言えます。仏教はもともとあったインド古来の思想を踏襲して「輪廻転生」を説いているものです。
(ざっくり言うと、仏教はインド思想を踏襲したうえで否定するものです。古典に相対するものであるがゆえの新興宗教なわけです)

それから、そもそも「輪廻転生」という用語は「輪廻」と「転生」という二つの言葉が合わさったものです。
本来、「輪廻」と「転生」とは別の意味になります。
以下から少し用語について解説していきます。

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先に「転生」という言葉について。
この言葉はそのまま私たちが想像する「生まれ変わり」と考えて良いでしょう。死後の魂が新しい肉体を得てこの世に蘇る、再生するなどといった意味です。
インドでは人の魂が死ぬと天へ昇り、雨となって地上へ戻り母の胎内に宿って再び生まれるという伝説があるそうです。これがインドにおける古典的な「転生」思想の原型となったと考えられます。

転生には二種類あるそうで、一つは地上へ戻る道。
もう一つは天へ昇ったきり二度と生まれ変わらない道、とのこと。
永遠に転生を繰り返すと考えてしまうときりがないから、天へ昇ったきり帰らない道を考えることで魂の救いを求めたのでしょう。

この第二の道が、後に仏教において「悟りを得て転生を卒業し、輪廻を抜け出す(解脱)」ことを目標に置く教えに繋がっていったのだと思います。


六道輪廻

次に、「輪廻」という言葉です。

「輪廻」とは転生する主体(魂)が、六や十などに分かたれた世界を生まれ変わり続ける、という状態のこと。あるいはこの教えを説いた思想のことを指しています。

ちょうど輪をぐるぐる回るように、魂が同じ世界を幾度も幾度も生まれ変わる。だから「輪廻」と呼びます。

古典的なインド思想では、輪廻の世界は六つに分かれていると説かれます。
この六つの世界を「六道」と呼びます。

【六道】
・天道 …美しく楽な世界。苦しみは少ないが下位の道へ落ちる可能性がある。
・人間道 …苦あり楽ある平凡な人間界。
・修羅道 …戦いに明け暮れる世界。
・畜生道 …動物に生まれ変わるか、または動物のように欲望を貪り続ける世界。
・餓鬼道 …欲望を貪り続けるが決して満たされることのない世界。
・地獄道 …苦役を受け苦しみ続ける世界。

(六つではなく十の世界に生まれ変わると説く【十界】もありますが、こちらは後世の仏教で考え出されたバージョンアップ版です。六道の上にさらに四つ、仏に近い魂が住む世界が付きます。以下、考え方としては六道とほぼ同じです)


六道は上記の並び順の下から上に向かって上級の魂が生まれ変わるとされます。上級か下級か決定するのは、今世での行い(業=カルマ)にかかっています。
たとえば人間界で生きたとしても、戦いを好めば来世は修羅道に、自己の欲望だけを貪り続けて他人を慮ることがなければ餓鬼界に落ちます。無実の人を殺めたりなど極悪非道な行いをすれば、来世では地獄界に落ちて苦しみ続けることになります。

この六道にいる限り魂は苦しみのなかにあると考えられます。
特に仏教では「転生」そのものを苦しみと説きます。
ですから仏教は六道を脱出すること、すなわち転生しなくても済む高度な存在となることを目指しているのです。
六道を脱出するには、悟りを得て仏になるしかありません。

※仏様とは、死んだ人のことを言うのではなくて悟りを得た者のことを言うのです。たとえば釈迦は悟りを得て仏になったとされるので、「仏様」と呼ばれています。ですから「仏様」はもとは我々と同じ人間です。西洋のように崇めて救いをこう神様とは本質的に全く異なります。

「真我(アートマン)」と「宇宙原理(ブラフマン)」

では、“悟り”とは何でしょうか。輪廻を抜け出すためにはどうしたら良いのでしょうか。

古代インドにおけるヴェーダ思想の奥義書、ウパニシャッドでは、今ここで生きている私たち個人の魂の中心には大いなる真実の自己「真我=アートマン」があると説かれています。
そもそも個性が存在するように見えるのは幻に過ぎず、私たち一人一人の魂は全て「真我」の表れに過ぎません。
そして、この「真我」を悟り「宇宙の根本原理=ブラフマン」と同一となる(一致していることを知覚する)ことによって、個の魂は幻から目覚めて輪廻から解放されます。


……なんのこっちゃ、でしょうか。
私の理解もまだまだ未熟ですが、このインド思想をもう少し現代的に噛み砕いて説明しましょう。

たとえば我々の肉体は死ぬとバラバラの分子に分解されて、その分子はまた他の生命体へと再生されていきます。
これと同じことが魂にも言えます。
ある一定の期間、個性を保っていた魂は根本で大きな一つの魂につながっています。
個性を保って生まれ変わっているかに見える魂は、実は全てその一つの魂の様々な表現に過ぎないのです。
たとえば大きな樹の幹と枝葉の関係です。枝葉はその先端、現世へ近付けば近付くほど独立した別々の存在に見えます。しかし根を辿っていけば、もとは太い一本の幹から伸びているだけです。
または、個の魂はアートマン(真我)の触手とも言えます。アートマンがこの世を味わうために伸びている触手と考えられます。触手のそれぞれは「我は個なり」と他の触手と違う存在と思い込んでいますが、実は一体の無数の手に過ぎないわけです。

ブラフマン、宇宙原理とは生物・物質・精神・事象全ての根本に共通の「真理」のこと。これは唯一無二の宇宙原理で、全てが一点の真理から生成されており、やがてはその一点へ還っていきます。
このブラフマン(宇宙原理)とアートマン(真我)は同一です。
つまり、我々という個人の魂は全て一点の真理から生まれ、一点の真理へと還ります。


……ますます分からなくなってしまいましたでしょうか。説明が下手ですいません。
初期の『ウパニシャッド』では、このブラフマンについて「〜でない」という否定形でしか表現出来ないと書かれているそうです。それだけ言語で説明することが難しいということです。納得します。

私は個人的に幼い頃から「全ての物事の中心に真理がある・真理が観える」という感覚を抱いてきたので、初めてインド思想に触れた時は「自分の抱いてきた考えが書物に書かれていた!」と感じ、嬉しくて涙したほど理解出来ました。
しかしそれもインド思想の言葉の曖昧さによる幸福な誤解かもしれません。

ちなみに現代の最先端の物理学も、ウパニシャッド思想と非常に近いところまで来ていると言われています。
全ての物質、全てのエネルギーを作り出しているただ一点の原理を見出しかけているとか。
現代人類が純粋に学問だけでブラフマンに到達出来れば嬉しいなと私は個人的に思っていますが、これも幸福な誤解でしょうか。


ところで、仏教で言うところの「解脱(げだつ)」とは古代インド思想の輪廻からの解放とは異なります。
そもそも仏教では、個性という「我」そのものを否定します。永遠に生まれ変わっては困るからアートマンという永遠不変の自己を最初から否定するのです。
ここから「解脱」とは、‘我などない‘’と悟ることだと解釈出来ます。
つまり、我も幻であるし、今ここにある現実も完全なる幻だということです。
「アートマン」・「ブラフマン」という不変の存在を定義するインド思想とはこの点において一線を画します。これが仏教の新興宗教たる所以です。

(仏教でも真我と原理の一致を解脱と考える宗派もあるようです。このように仏教の教義は宗派によって様々で私も理解が及びませんが、基本的に自我からの解放を目指し、本質的には「輪廻転生は幻」とするのが共通しているようです)

何にせよ、古代インド思想は曖昧で難解です。
こんな物理学みたいな学問など庶民にはとうてい理解出来なかったでしょうし、好まれることもなかったでしょう。このためインド思想は偉い学者だけの専売特許となったのです。



まとめ。宿曜占星術で言う【業】【胎】の前世・来世とは

以上の話からお分かりのように、東洋で仏教によって広まった輪廻転生という思想は、私たちの想像する「生まれ変わり」とは異なります。

もちろん東洋でも、お釈迦さまなど偉大な人の魂がこの世に再び降りる転生を意味することもあります。しかし本来はそういった個人的な現象ではなくもっと全体的な再生を意味しているわけです。

まとめますと、
全宇宙の生物(衆生)は循環する一つの魂
という思想が東洋の輪廻転生です。

我々が「魂」と呼んでいる個性とは一つの巨大な我(真我)が別々の形に見えるように表れているに過ぎない。
ということはミミズもオケラも、夫も妻も恋人も友達も、戦争している敵対国の人々も全員が実は
「自分の前世」であり
「自分の来世」であると言えるのです。
※この場合、過去・現在・未来に自分は同時に生きています

つまり全ての生物が自分そのものということです。
だから東洋では殺生を戒めます。戒めると言うよりも、自分の来世であり前世であるものを殺すことなど出来ないから自然に殺生を避けるようになるのです。
田舎でお婆ちゃんが、子供が小さな虫を殺そうとすると
「その虫はあんたの来世なんだから殺しちゃ駄目だよ」
と叱ったりするのはこういう思想から来ています。


宿曜占星盤の輪のなかで【業】や【胎】が自分の前世であり来世であるとされるのも、輪の全体を自分として意識せよ(あるいは【命】だけが我ではない)という象徴的な意味でしょう。
ですから個性を保った魂が別の肉体に生まれ変わる、という現実的な意味で「【業・胎】が自分の前世であり来世なのだ」と主張するのは少し違うように思われます。


純粋に「生まれ変わり」の概念が残っているのは、実はギリシャ系哲学を受け継ぐ西洋のほうと言えます。
ですから現実的な意味で前世を読み解くためには、東洋は西洋に学ばなければなりません。


次ページへ続く

目次


ページ内
「輪廻転生」という言葉の意味
六道輪廻
「アートマン」と「ブラフマン」
まとめ。宿曜で言う「輪廻転生」